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 この地では
夫婦(めおと)の火の神が愛し合い、大地からこんこんと湯の泉が湧き上がる。火は生き物たちを恐れおののかせ、湯は生き物たちを癒した。

この夫婦の神を祀った山には、光と影が交錯し、たくさんの摩訶不思議が宿っているのであった。

ある時、大陸の方から天狗がやってきた。

人間の姿に似ていたが、体は人の二倍ほど大きく歯の高い下駄を履いている。顔は朱を塗ったように赤く、高い鼻の下に立派なひげを蓄えている。背中には墨をこぼしたかのように真っ黒な翼が生え、濡れたように光っていた。

天狗は轟くような声で言った。

「おれは天下の大天狗さまだ。おれに敵う者は今まで誰一人としておらん。張合いもなくとても退屈している。暇つぶしに人でも化かしてからかってやろうとはるばるやってきたのだ」

山に棲む妖怪たちは皆膝をついた。

年老いた一匹の妖怪が頭を深々と下げたままこう言った。

「この地は神の均衡の力が強く、このように多くの物の怪どもがおりながら、我々の力は劣っており、陰に隠れるように細々と暮らしております。人里に下りることはめったにございません。もしも人間に悪さをするようなら、どうかおやめください。今に痛い目にお遭いになりますぞ」

「痛い目に遭うだと?」

天狗はふんと鼻を鳴らした。鼻息でこの老いた小さな物の怪を吹き飛ばした。大天狗は高笑いする。雷のような声だった。物の怪たちは震え上がった。

「他愛もない。おれを誰だと思っている。天下無敵の大天狗であるぞ。神がなんだ。そんなもの、おれがとって変わってやる」

大天狗は羽根を羽ばたかせた。突風が吹いた。木々がしなるように揺れる。地面を軽く蹴飛ばすと、大天狗は一気に空へと飛び立った。

 

「まずは肩慣らしだ。人間どもと遊んでやろう」

 

 

山から海の方に少し下ると町がある。港が盛え、海には国内外の豪奢な船が往来する。店や旅館が立ち並び商売人らが賑わわせていた。

「人間どもがうじゃうじゃいるぞ。お、あんなところに寺がある」

 その寺は大通りに面し、人の賑わいの中、木造の門構えは大変立派で厳かな雰囲気を漂わせている。

天狗は人気のない路地裏に降り立ち、人の姿に化けた。そして何事もないふうに門の前に立った。

「こりゃまた実にでかい門だ。人間の分際が馬鹿馬鹿しい。燃やしてしまえ」

大天狗は思いきり息を吸い込み、大きな口をすぼめ、一気に息を吹き出した。すると大天狗の口から真っ赤な炎が吹き出した。炎は門に飛びかかり、みるみるうちに燃やし始めた。さらに大天狗は腰にさしている羽団扇を手に取り大きく仰ぐ。びゅうっと風が吹き、炎はさらに燃え盛り門を飲み込んでいく。

「やれ、いい気味だ」

火の海と化した門の向うから念仏が聞こえた。

その瞬間、門の炎は消え、そっくりそのままぼうと天狗に燃え移った。

突然のことに天狗はアッと間抜けな声を上げた。途端に変化が解け、赤ら顔の天狗の姿になる。天狗は下駄をからころ鳴らしながら炎の熱さに身もだえた。

「熱い、熱い」

団扇でバサバサと羽根を叩くが、火は燃え盛るばかりで一向に消えようとしない。

門の向うから坊さんが現れた。

「天狗よ。お前の姿ははなからお見通しだ。何故このような悪さをする」

「わ、わたくしめは大陸の方からやってきましたしがない天狗でございます。この門の立派なご様子に卑屈な思いになってつい魔が差して火をつけてしまいました。どうかお許しください」

坊さんが念仏を唱えると火はふっと消えた。

これ以上関わるともっとひどい目に遭わされる、天狗は頭を抱えて走って逃げた。

 

天狗の出てきた路地裏、水路のわきで一匹の猫がこの様子をまじまじと見つめていた。山の物の怪が変化したものだった。天狗がどんな悪事を働くのか気になって山から天狗の行く先を追いかけ、陰からこっそり様子を窺っていたのだ。

「それ見たことか。それにしても、やつが自分で言っていたほど大した天狗ではないようだぞ」

 

猫はにやりと笑って、天狗を追った。

人気のないところまで来ると、天狗は自分の体の様子を確かめた。自慢だった漆黒の濡れ羽は見るも無残に燃え落ちて、所々は赤く肌が見えている。天狗は情けない気持ちになった。これでは当分自分の国にも帰れないかもしれない。羽根が燃えてしまっては飛ぶことができない。しばらくはこの地にとどまらねばならぬ。かと言ってあれほど威勢よく山を飛び出してきたので逃げ戻るわけにもいかず、人間の姿に化けたまま町をとぼとぼ歩きまわるしかなかった。

しばらく歩き回って少し冷静になると、今度は悔しさと怒りで顔がほてり始めた。

「こんなに恥ずかしい思いをしたのは初めてだ。ああ悔しい。とても腹立たしいぞ」

天狗はこぶしを握り締める。自然と足にも力が入り踏みしめるようにのしのし歩いた。

「そうだ。おれは大陸一の大天狗。何を弱気になっている。さっきのはたまたま運が悪かっただけだ。本当ならおれがこんな目に遭うはずがない」

 ふと目を上げた先に赤ん坊がいた。おぼつかない足取りでよちよちと歩き回っている。周りに親らしい人影はない。買い物にでも気を取られているのだろう。

「こいつなら何も抵抗できまい。掻っ攫って鷹の巣にでも放り込んでやる」

天狗は赤ん坊の襟首を掴んだ。女の金切り声がした。

「誰か、誰か! あいつを捕まえて!」

人間には追いつかれまい。何せ天狗は空を飛ぶ。手が届かなくなるまで飛び上がってしまえば逃げ切ったのも同然だ。天狗はほくそ笑みながら羽根を羽ばたかせる。が、いくらも浮くこともなく前につんのめって転んでしまう。感情が高ぶっていたあまりに飛べなくなっていたことを失念していたのだ。しまった、と思ったころにはもう遅い。天狗は町人から飛びかかられ羽交い絞めにされる。

「つかまえたぞ!」

「こいつだ!」

たちまち取り巻きが増え、皆で天狗を袋叩きにする。天狗は泣きそうな顔で許しを乞うた。

「わたくしは卑しい天狗でございます! どうかお許しください!」

猫は必死に笑いを堪えて様子を覗いていた。

 

「これはまた傑作。長老へ報告に参ろう」

猫は山を駆け上り、長老に事の顛末を話した。聞き耳を立てていた物の怪どもは腹を抱えて笑い転げた。長老は天狗を不憫に思い、何匹かの物の怪たちを使いに出し、天狗を介抱するように言った。

物の怪たちは人間の姿に化け、天狗を温泉へと連れて行った。番台の老婆は瀕死の天狗の様子を見るとたちまちこう言った。

「まあ、たいそうな怪我ではありませんか。この地のお湯は神の御加護を受けているので怪我によく効くのです。さあ、遠慮なくごゆるりと」

湯は熱く怪我に沁みたが、まるで体がとろけるようで、まさに極楽そのもの。天狗は心まで和んでくるのを感じた。

「なんと素晴らしい。こんな極楽がこの世に存在するとは」

物の怪は言った。

「このお湯はこの地に生きるものに平等に与えられた神からの恵みです。生き物たちは争うことなく、神を脅かすことなく、日々をひっそりと営んでおります。それが神との約束なのです」

 

「思い返せばおれは大した器もないくせに虚勢を張ってばかなことばかりやってきたもんだ。神は懐が深いのだな。おれのようなやつにもお恵みを与えてくださるのか」

物の怪たちはよく人間に化けて温泉に入りに来るらしい。

天狗も毎日、人間たちがつくったさまざまな浴場を巡って傷ついた体を癒した。老婆が言ったとおりにみるみるうちに傷が癒えた。温泉の中で人間たちと会話を交わすのも楽しみの一つとなった。

当初は羽根が生え変わるまで、と思っていたが、天狗はすっかり温泉の虜になって、帰るのが惜しいと思い始めるようになった。

天狗は心を改め徳を積み、町と温泉の守り神となることにした。

物の怪は猫へと転身し、天狗とともに町を見守るようになった。

 

この地で猫の井戸端会議が多く見られるのもこのためである。


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